夕張市について〜自分の生い立ちと思うこと〜

 

書こうと思った理由&自分の生い立ち

 

youtubeで、夕張を訪問して街の様子を色々解説する動画を見たことがきっかけである。

youtu.be

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(その他にも色んな動画があるので、興味があれば是非検索して見てほしい)

両親が夕張市出身であり、私も3歳ごろまでは夕張市に住んでいた。
父の仕事の関係で夕張から札幌へ引っ越して、現在に至る。
道内ニュースでよく見かける秋元札幌市長も、18歳までは夕張に住んでいた。
夕張市は炭鉱の町として栄え、1960年には人口およそ11万人となる。しかし、エネルギー革命により石油へのシフトが進んだことで、炭鉱の閉山が相次いだ。両親がまだ子供の頃は、人口も多くて賑わいのある町であったのだ。
ただ、母が学校に通い始めてからは、別の街に転校する同級生も多くなったとのことだ。
秋元札幌市長も母と同世代で、子供心に産業のない街では、人が住み続けられないと思ったそうだ。
炭鉱以外の産業資源が乏しかったため、働き手の若者が札幌などの都市へ流出し、人口が激減する。
街には高齢者が残ることとなり、急速に少子高齢化が進んだ。
夕張市の歴史と私の両親、祖父母の生い立ちはまさにその流れにリンクしている。
私の祖父は父方、母方ともに炭鉱夫として働いていたし、両親は夕張に仕事がなくなったため札幌に引っ越している。
父方の祖父母は、亡くなるまで夕張に住み続けていた。
お盆とお正月は毎年家に行っていたし、家庭菜園で育てた野菜やメロンを沢山もらった。
今思えば、すごくありがたいし働き者の祖父母だったんだなと感じる。

 

住み続けるのは厳しい

 

その夕張は、2007年に財政再建団体となり事実上の財政破綻となる。
市職員の給与カット、市民への税負担増、全国最低の行政サービスとなったことから、職員の退職、
転出者の増加で2006年、2007年で人口が1割近く減少した。

スーパーやドラッグストア、ホームセンターなど生活に必要な施設は市内にあるものの、
バスの本数は1時間に1本あるかないかと少ない。生活していくには車を運転することが必須である。
市内も南北に縦に長くて端から端まで行くには車で30分ほどかかってしまう。
また、働く場も農業や行政、医療、福祉など限られてきてしまう。
カラオケとか、飲食店、流行の洋服や雑貨店などの遊ぶ場もほぼなくて、札幌や千歳などへ行かなければいけない。
2023年9月をもって夕鉄バスの札幌夕張線が廃止されたため、自家用車以外では
一日3本しかない中央バスか、新夕張駅から特急に乗るしか市外へ行くことが出来なくなった。
なかなか住み続けるには厳しいし、住みたい人も少ないと思う。
youtubeでも、営業しているのかしていないのかわからない店が沢山あったり、人口の割に団地が一杯あるし、
とにかく活気がない様子が映し出されていた。
それでも、石炭博物館は今でも営業を続けているというのが意外だった。
ただ、その周りの石炭の歴史村や遊園地の跡地は廃墟と化している。

夕張に住み続ける高齢者をどこか便利な自治体に引っ越しさせた方がいいのではないかという意見もあるが、
居住の自由が憲法で保障されている以上出来ない。
また、転居することで古くからのコミュニティが失われてしまうことから、
かえって高齢者の生きがいを失わせてしまうのではないかとも思う。
ただ、それが高齢ドライバーの事故に繋がってしまっているので、複雑なところではある。

私は夕張に賑わいを復活させてほしいとかは思わないけれど、せめて今住んでいる人たちが
一つでも住んでよかったと思える街であればいいなと思う。